勉強を続けるために

勉強好きにならなくてもよい!

 私の定義する資格マニアになるためには、少なからず、資格を取るための勉強をしなくてはなりません。そのための「労力」や「時間」もさることながら、「継続する力」はとても重要です。
 ただ、この継続が難しいから挫折する人が多いわけで、「それができたら苦労はない」ということになります。では、今現在、資格を取得するために継続的に勉強している人たちは、みな単なる「勉強好き」なのでしょうか?なぜ、勉強を継続できるのでしょうか?
  1. [ 勉強好き ] → [ 資格に関する勉強をしよう ] → [資格を取ろう]
  2. [ 知識をつけよう ] → [ 関連する資格を取ろう ] → [ 勉強しよう ]
 上記2つの考え方のプロセスを見てください。
 上記(1)のようなプロセスを辿ると、資格取得のための勉強に関して、継続は難しいものです。なぜならば「目的」が見えていないからです。勉強することを目的にするのでは継続はできません。

 あくまでも(2)のように、「知識をつけること」を目的として、挫折しそうな時は、目的を思い出すことが大切です。つまり、「自分は何をしたいんだっけ?」と、勉強中にふと我に返る時に、「あぁ○○のためだ!」と即答できるほど、継続するための目的意識ははっきりしていると言うことができます。


劣等感を持とう!

 他の章でも「目的を持つこと」が継続に繋がると書きましたが、それよりも勉強に対する強い動機付けになるのが、 「劣等感」だと思っています。つまり、いつも「まずい!勉強しなきゃ」という焦燥に駆られていることが、勉強の継続に繋がりやすいと思います。
 ただし、私の言う焦燥感は、「試験日が近い!勉強しなきゃ!」という期限的な焦燥感とは、似て否なるものです。私の言う焦燥感は劣等感と対になっていなくてはなりません。以下に例を示します。
  • 今まで同じような成績だった友人の成績が上がり、点数では常に負けるようになってしまった。私も勉強しなくては、置いていかれてしまう。
  • 部署内で、ネットワークに関する知識は、私が一番乏しいのかもしれない。たまに周囲で話している内容に、知ったかぶりをすることもある。早いところ手を打たなくては。
  • 私の尊敬する先輩は、私の疑問に何でも答えてくれる。あの人と同じ年齢になった時、私はあそこまで知識の幅を広げられているだろうか?今のままではまずい。勉強しよう。
 上記の例は、私が今まで感じたことのある実際の劣等感そのものです。このような感情を背負うと、勉強していないと不安で不安で仕方がない状態になります。社会人になって以来、この「劣等感」を抱えてきたことが、私を資格マニアに導いたのは間違いありません。
 入社した当時の上司に、「知識を早くつけてこの不安な気持ちを払拭したい」と言ったところ、「不安な気持ちは今の俺でもあるよ!」と言われたのを覚えています。成長している人は、必ず色々な意味での「不安」を抱えているはずです。



ページトップへ
inserted by FC2 system